学校・保育・教育の体験談

現役大卒で小学校教員になった私の経験と転職後

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私は現役で4年制大学を卒業後、22歳で小学校の教員になった女性だ。

小学生の頃から教員になるのが夢だったので、教員採用試験に合格し、赴任先が決まって新しい出会いに心弾ませていた。

しかし、着任して2週間で緊急事態宣言が発表され、やっと担任するクラスの子どもたちの顔と名前が一致した頃に、彼らとは会えなくなってしまった。

想像していた日常が一気に崩れていった。

そんなコロナ禍の教員生活で私が経験したことを中心に、教員になって良かったと感じた出来事と辛かったこと、今の児童指導員という仕事に転職して良かったことをお伝えしたいと思う。

 

・教員になって良かったと感じた出来事

私が担任するクラスの子どもたちはもちろん、その保護者の方々にも恵まれ、安心して授業をしたり子どもと関わったりすることができたのが良かった点である。

教員になることが決まったあとに周囲の人に心配されたのが、いわゆる「モンスターペアレント」だ。

当時の学年主任から、対応に注意した方がいいと聞いていた保護者の方がいた。

むしろ私はその保護者とクラスの中で一番仲良くなった。

電話で話した回数が多かっただけではなく、保護者の方から話しかけてくれるようになった。

そのきっかけは、私が担任するクラスのよく問題行動を起こす子どもに対して、学年主任が介入し怒ることが何度もあることだった。

その度に放課後には保護者から怒りの電話が学年主任宛にかかってきて、相性が合わないのか口喧嘩のようになってしまったこともあった。

私は次の日その保護者に電話をかけ、話を聞いたり謝罪したりしてその場を落ち着かせることができた。

それ以来、その保護者は感謝の言葉をかけてくださったり、私の体調が悪くなった時にも心配してくださったりした。

私は関わらなければならない苦手な人には自分から関わるようにするというモットーがある。

このようなピンチの場面で自分のスキルが生かされたことは嬉しかったし、それ以上に保護者の方と良い関係を築けたことが嬉しかった。

 

・教員をしていて辛かったこと

当時定年間際だった校長先生や中堅の学年主任から褒められたり認められたりすることがほとんど無かったことが辛かった。

自分の捉え方次第ではないかとも思うが、本当に注意されたり、怒られたり、ダメ出しされたりしたことしかないのだ。

教育実習で授業をしたり子どもたちと関わったりする経験はたくさん積んできたつもりだが、教員の仕事の要領や流れを掴むまでに時間がかかり、毎日最後まで残って仕事をしていた。

それでも終わらなくて、家でできる宿題の点検は毎日持ち帰って寝ずにやっていた。

そんな中でも、きちんと次の日には30人全員の宿題を返却して、子どもたちや保護者からの信頼を何とか得て、休日は研究授業の準備をして、自分なりに頑張っているつもりだった。

しかし、同僚や上司にはそのようには映らなかったのだろう。

1学期の終わりにはほぼ毎日校長室に呼び出されて説教された。

例えば、授業の進度が遅いこと、保護者からの質問をクレームと捉えられ対応が甘いと言われたことなどだ。

子どもたちの良いところを見つけて褒めてあげる学校の先生が、同僚の頑張りを見逃してしまっているのだ。

何とか助けてあげようというのではなく、みんなで蹴落としてきた。

私の心身は限界を迎えた。

 

・今の仕事と比較して転職して良かったと思える理由

私はその後、病気休暇と休職の期間を経て、夢だった教員を1年4ヶ月で退職した。

今は、放課後等デイサービスの児童指導員として働いている。

今の仕事は同じく子どもに関わりながらも楽しくやりがいを感じて働くことができる環境だ。

収入は減ったが、自分に合った働き方ができていると感じるので転職して良かったと思っている。

具体的に今の職場に転職して良かったと思う点は3つある。

1つ目は、休みの日を自分で申請できるので自分の体調に合わせて働くことができるところである。

私は月曜日から金曜日まで連勤できる体力が無いことが前職の経験から分かったので、今の職場のやり方が合っていると思ったのだ。

2つ目は、同僚の年齢が近いことだ。

話しやすいので報連相がスムーズで、困ったときの相談もしやすい。

前職の校長からは自分の経験を振りかざして否定しかされなかったが、今はみんな頼りにしてくれるのでモチベーションが高いまま働けている。

3つ目は、前職までの経験が生かせることである。

放課後等デイサービスは小学生を中心に利用しているので学校事情が分かると楽なことが多い。

例えば、何年生で習う漢字か子どもに聞かれたときにすぐに答えられることや、特別支援学級に移籍する時に学校がいつどのように動くのかを保護者の方に説明できることなどだ。

教員として働いた時に感じたことが、自分に合った働き方を見つけることにつながった。

教員時代があるから今があると感じる。

 

・まとめ

本文では、教員になって良かったと感じた出来事と辛かったこと、今の仕事と比較して転職して良かったと思った理由についてお伝えしてきた。

教員生活は嫌な思い出もあったが、自分が楽しく働くためのヒントを得たり、貴重な経験を今に生かせたりしているので、総じて教員になって良かったと感じている。

大変さを少しだけ知っているからこそ、今教員として働いている方々には尊敬の気持ちが強い。

ただ、自分はもう教員にはならなくていいと思っている。

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