・田舎の建設会社の実態
私は19歳の頃から、約半年間地元の建設会社に勤務していました。
私は実家も建設会社を営んでおり、高校も工業高校に通っていたので、気づけば仕事は自然と建設会社という風になっていました。
親父からの命令でまずは外で勉強してこいとの事だったので、同じ地元の建設会社に入社しました。
仕事内容は主に土木工事が主な仕事で、市からもらえる公共工事や個人から請ける工事もやっていました。
給料は日当制で私は1日8000円でボーナスはありませんでした。
その会社は50年以上続いている会社で今の社長が2代目という、地元の中でいうとまだ業歴の浅い会社でした。
私が入社した時には既に会社も代替わりしていて、社長は今の2代目になっていました。
しかし、またこの2代目が一癖も二癖もある社長なのです。
・会社の儲けより、まず社員の安全
私がいた建設会社には仕事内容によって部署が分けられており、その部署の中でも班分けされていました。
私が所属していた部署は道路維持という部署で、崩れている道を直したり、道路の間に横断側溝という排水施設を作ったり、ガードパイプ・ガードレールを立てたり、道路工事全般を担当している部署でした。
私はその中で1班、当然私が1番下で、1番年齢が近いという人が50歳でした。
もちろんキツい仕事は年齢が1番若い私の担当でした。
それでも様子を見ては年上の方が手伝ってくれたり、若い子が1人ということもあって、全員が助け合って作業をするという班でした。
私が入社して最初の夏、ちょうど私達の班は梅雨の大雨で崩れた道路の補修工事をしていました。
その工事は市から出ている公共工事で工期が決まっています。
しかし、私達の班は私以外の全員が新型コロナウイルスに感染して、ほぼ班として機能していませんでした。
そこで私達の班に応援がきました。
それが癖のある2代目社長でした。
残りの工期が1ヶ月。
私と2代目社長との地獄の1ヶ月が始まりました。
その現場はとても狭く、なんとかユンボ1台入れるくらいの民家の裏の道路でした。
狭いので細かな仕事が必要とされる現場です。
当然ユンボには2代目社長が乗ります。
この社長、実は地元ではユンボの操作が下手くそで有名でこれまでに何人もの作業員を怪我させています。
私も事前にこの事を知っていたので、ユンボには近づかないようにしようとしていました。
しかし、ユンボがヘタクソという事は細かな仕事ができない。
細かな仕事がユンボでできないということは手作業で細かな仕事をしないといけません。
そうなると当然私の仕事量が増えます。
これまでに何人もの作業員に怪我を負わせてきたのが効いているのか、ユンボに乗りはするのですが、一切操作はしません。
暑いので、クーラーが効いたユンボの中にずっといながらマイクで指示を出してきます。
その年の夏は暑さが異常で、熱中症で病院へ搬送されたというニュースが連日のように流れていました。
私も気をつけていたのですが、社長との工事が始まって1週間が経ったころ現場で熱中症になり、体が痺れ動けなくなりました。
しかし、工期もギリギリでピリピリしていた社長は私そっちのけで1人で作業を続けていました。
それを見兼ねた近所の方が救急車を呼んでくれ、私は一命を取り留めました。
しかし、その近所の方が市の建設課に連絡をし、一連の出来事を伝え、会社に労働基準局が入りました。
従業員の体調不良をそっちのけで作業を続けていた。
それがその会社の社長ともなれば、処分を受けて当然です。
公共工事に必要な免許や資格は全て取り消し。
詳細までは分かりませんが、罰金も払ったと聞いています。
そのあとすぐに私は実家の会社へ戻りました。
・建設会社の今と昔
昔はそれが当たり前だったという人も居ますが、今と昔では働き方が違います。
私は今若い子達を育てる立場にいますが、このようなことが起きないよう日々毎日を過ごしています。
また私がいたようなブラック企業には人も集まりません。
人を大切にしない会社に未来はないということを実感したいい期間になりました。