私が大学卒業後に就職した最初の会社が超ブラックだったので、記憶が定かである今の内に皆さんにお話ししたいと思います。
私は大学で上京し、電気電子工学を習得した後、田舎の電機機器メーカーにリターン就職しました。
そこは大手電機メーカーの子会社で、主に親会社で手に負えない面倒な電機製品を取り扱っていました。
私の職務は、主にモータや発電機等の雑多な電機機器の開発設計業務でした。
そもそもこの会社を選んだ理由も、私の実家が農家で、百姓仕事もやりつつ通えて、自分の学んだ専門が活かせるのがこの会社だった訳です。
本来ならもっと大きな会社に入りたかったにもかかわらず、丁度その時、まさにバブル崩壊1年目だったのです。
もっと思い起こせば大学受験も現役が共通一次試験の最終年度で、浪人が大学センター試験の初年度で、制度の変更に振り回されました。
就職は就職で現役組は好きな大企業に就職出来たのに、私は一浪したばかりに卒業が1年遅れたこととバブル崩壊で新卒採用を減らした影響で、私の様な地元志向人間は大手では不採用となり、気がつけばその子会社でこき使われる羽目になったのが私の社会人生活のスタートでした。
それでも当時はまだまだ良くも悪くも世間知らずで、希望に満ち溢れていたので、この会社で偉くなり出世するぞと意気込んでました。
それも3年ぐらい働くと現実が見えてきました。
そうなんです、子会社の社長とは親会社から親会社内の社長争いに敗れた落武者が天下りして来るのです。
しかも部長クラスまで全部天下りで、生え抜きは課長止まりと言う現実を知る事になります。
それでも、まだ腐らず希望は持ち続けました。
エンジニアと言う名の下に。
しかし現実は厳しかった。
最初の社会人初年度に味わったのは、前年度まではバブル入社で新人教育は2ヶ月して正規配属。
私の年度からバブル崩壊で現場の派遣を切ったので、代わりに新人を1年間現場実習と言う名の現場応援をすることになりました。
しかも夜勤有りです。
実はこの行為は違法です。
そんなことは当時は知る由もなく、大学出て現場ライン作業は不満でしたが、まだ若くて体力もあり、実は夜勤手当がメチャクチャ良くて悪くもないと思ってました。
その間にも一時帰休や親会社の使えないパソコンが賞与現物支給等、振り返ると最悪でしたが、それもまだブラックの序章に過ぎませんでした。
やっと勤続2年目から正規に電機機器の開発設計に従事することになり、喜んだのも束の間。
そこはまさに生き地獄な職場でした。
表向きは電機機器設計開発エンジニアとか格好良い事を言ってましたが、実はサービス残業毎月100時間程度あたりまえで、残業手当はゼロでした。
当然これも立派な違法行為です。
ですが90年代の中小では、その様なサービス残業が蔓延している時代でした。
そしてそれを先輩達と一緒になって、当然の様にやってしまった私も大馬鹿者でした。
サービス残業は絶対ダメな違法行為であり、結果として誰の得にもなりません。
そして、その後に起こった事はある程度は想像つくかもしれませんね。
そうです、辞めていくのです。
特に優秀な先輩や同僚から次々と立て続けに止めどなくです。
私も勤続4年目辺りから専任で大手企業のエンジニアと取引させてもらえる様になり、正直言ってこの頃は、楽しかったです。
もうお金とか仕事とか理屈ではなくて、ただただ自分が主担当で大手のエンジニアと技術交渉出来る喜びに満ち溢れており、それこそ車載から事務機器から産業用から農機具に至るまで、ありとあらゆるタイプのモータや発電機を開発してるだけで楽しかったのです。
あの頃は歳とってからでは分からない若さ故のみなぎる無限のパワーみたいなものがありました。
その経験は自分の礎となり、その後の人生にも大変役に立っています。
そうこうしてるうちに年月は過ぎて、給与は低いながらも仕事は楽しく、サービス残業も何とも思わず黙々と真面目に働きました。
そして入社6年目で主任となり手当が僅かですか付いてぬか喜びしていると、地元女性とのお見合いの話があり、お見合い結婚しました。
でも思えばこれもブラック企業であることを再認識させてくれるキッカケになりました。
新婚なのに毎晩帰宅が遅く、なのに手取り20万そこそこでは、妻でなくとも疑いを持ちます。
妻は残業代が出てないの?と気づき始めたのです。
そして結婚後3年目、その時が訪れます。
妻からこう切り出されたのです。
こんな安い給与で子供なんて持てないでしょ?
貴方は仕事ばかりで殆ど家に居ないし、なのに給与は安いし、どうやって生きていくつもりなの?
私か会社かどっちか選んで下さい。
妻の言葉は、今にして思えば当然のことです。
自分が妻の立場でも同じ事を聞くでしょう。
不安にさせて心身共に貧しい生活にしてしまった私の責任であると感じました。
そして、私はこう答えました。
分かった!もっとまともな会社に転職するよ。
それでいいかな?
妻は納得しました。
それから仕事は段々と抑えて、妻と共同で転職活動開始です。
会社からも薄々気が付かれましたが、辞めた先輩達同様、会社もそもそもブラックですから、入社した人が馬鹿であり、会社として何もなす術はありません。
そして最初の会社勤続10年目の年に退職届出をして、大手競合の同業他社研究所に再就職が出来ました。
私のモータや発電機等の開発設計経験を高く評価してもらえ、今は大手電機メーカーで安泰に子供も増えて家族4人仲良く暮らしています。
改めて反省点としては、サービス残業を当たり前と思うのは危険で絶対やってはいけないと言うこと。
家族を持ちたいなら給与が良い安定した組織に入ること。
そして最後に立場の弱い組織には最初から入らない入ったら地獄であること。
この3点を注意して欲しいと思います。
下手な中小企業で働くなら自営業の方がマシです。
それではまた、最後まで有難う御座いました。