プロフィール
職業名 スーパーマーケットのアルバイト
雇用形態 アルバイト
勤続年数 半年
入社時の時給 780円
退職前の時給 780円
性別 男
・採用から初日まで
私は当時大学生で、高校時代アルバイトをしたことがなかったため、一度やってみようと思い、近所にあるスーパーマーケットに応募しました。
数日後に面接、採用という流れで、ここまでは普通でした。
採用され、出勤初日、まずはじめにしたことが、書類を書くことでした。
その内容というのが、3ヶ月以内に退職した場合は違約金として5000円払います、という内容のものにサインしてくれ、ということでした。
今思えばその時点で疑問に思うべきなのですが、当時は右も左も知らぬ世間知らずの大学生だったこともあり、特に何も思わずそういうものかとサインしました。
そして次に、出勤する際に着る制服を渡されたのですが、そこで言われた言葉が、「この制服も当然お金かかってるから、5000円払ってね。退職時にちゃんと返すから。」というものでした。
そこでも当然おかしいと思うべきだったのですが、辞めるときに返ってくるならいいか、と普通に払いました。
その制服代の領収書等はもらっていません。
そう、ここは、いわゆるバックレるとトータル1万円を失うことになるアルバイトでした。
当然バックレるアルバイトが悪いといえばそれはそうなのですが、バックレたくもなる、バイトがよくバックレるからそういう罰則のような対処になるのだろうなと辞めた今では思います。
・派閥争い
当時そのスーパーの人員はというと、学生バイトと主婦パートが主にシフトに入り、平社員が一人店長が一人そして社長副社長という構成でした。
当然一番偉いのは社長なのですが、現場で一番長くいるのは店長でした。
そしてその社長と店長がまた仲が良くなかったのです。
正直アルバイトの身からすると、偉い人たちの間が不仲だろうがさほど影響はないのですが、問題なのが、社長のお気に入り主婦パートさん(以後Aさん)と、店長のお気に入り主婦パートさん(以後Bさん)が両方ベテランで、その人達もまた不仲であるということでした。
さながら社長と店長の代理戦争がAB間で行われているような図式でした。
そうなると話が変わってきて、我々学生バイトにも影響が及びます。
やれAさんの指示は聞くな、やれBさんのやり方は真似するな、終いにはAさんに付くかBさんに付くかという話にすらなる事態でした。
そのような状況で店がうまく回るはずもありません。
クレームは多く、お客様も従業員も常にピリピリしているような悪い空気のお店でした。
・当たり前のようにまかり通るサービス残業
上述のような状況で、仕事が進むはずもありません。
割り当てられた作業が時間内に終わるほうが珍しいといった状態でした。
20時上がりなら21時、17時上がりなら18時は覚悟する毎日でした。
本来であれば、時間外手当が付くといった案件ですが、そんなはずもありません。
それどころか、タイムカードはシフト通りです。
17時上がりなら17時に退勤し、20時上がりなら20時に退勤している。
全従業員が残業など一切していない、そういうタイムカードになっていました。
我々アルバイトが自らでタイムカードを切る、ということはほぼありませんでした。
社員の方がほぼ毎日、タイムカード切っておいたからー、と親切にも我々の分のタイムカードも切っておいてくれるからでした。
その社員の方も当然タイムカードを切って仕事に戻り、アルバイトも諦めて割り当てられた仕事を終えるのに全力を注ぐ、それが終われば帰れる、といった具合でした。
言うまでもなくおかしいので、当然文句を言う者も出てきます。
そうすると次の日のシフトから名前が消えます。
では辞めたという扱いになるのかというとそうではなく、たまたまシフトが埋まっているから入る枠がないが、またそのうちちゃんと入れるから、というのが店長の言い分でした。
なら辞めます、というと違約金を要求され、当然制服代も返ってきません。
お金を稼ぐために始めたアルバイトで、逆にお金が減るという摩訶不思議な現象が起こっていました。
お金は痛いがこれ以上もう居たくないと無理矢理辞めたアルバイトもいたようですが、私のように、せめて3ヶ月は我慢しようと続けるアルバイトのほうが多かったようです。
結局私は人手不足を理由にズルズルと引き伸ばされ辞めるのに半年かかりました。
違約金は払わずに済みましたが、制服代は返ってきませんでした。
籍は残しておくからいつでもシフト希望出してくれていいからね。
という言葉を最後に私はその店と関わることをやめました。
・唯一の良かったこと
吊り橋効果と申しましょうか、人間過酷な環境を共にした間柄になると親密になるといいますが、たまたま同時期に入った学生アルバイト二人とは今でも交流が続いています。
戦友とでも言いましょうか。
今でもたまに会うと当時の話で盛り上がります。
惜しむらくは二人とも同性なので色っぽい話にはならなかったことですが。
ちなみにそのお店は今ではありません。
どういう事情でその場所から無くなったのかは知りませんが。