学校・保育・教育の体験談

教師を辞めて専業主婦に。つきものが取れた気持ち

投稿日:2021年10月9日 更新日:

■教師の道を選んだ経緯

私がなぜ教師を選んだか?それは色々な思いが混ざり合って、中学校の教師という選択をしました。

大学に入るときに教育学部を選びましたが、その時の年齢は18歳か19歳です。

人生の青写真をかっちりと指し示すことが出来るほど、考えもなく、当然人生経験などあろうはずがありません。

淡い思い、子供たち教えたい、一緒に人生のある時期考えてあげたいということで中学校の先生になりました。

教師業をしてみて感じたことは、沢山ありますが、特に改めて感じたのは、教師という本業である勉強を教えること以外のことが想像していた通り多すぎるということでした。

まあ、一般社会でいえば、仕事も決められたことをきちんとして、就業規則もきちんとあり、それを守り不要な残業などないホワイト企業に務めているつものだったのに、気が付くととんでもないブラック企業に務めていることに気が付きました。

■ブラック企業

ブラック企業のいわれは色々とありますが、まずは、クラブ活動の顧問ということになります。

新人の先生は、半ば強制的に割り振りでクラブの顧問を割り当てられて、自分が競技経験者ならば指導から、そうでなくても練習時の同行、対外試合等への同行、段取り、予算の管理、OB会への連絡窓口、春と夏の合宿の企画、宿舎、体育館の予約段取り、同好等がいきなり来ます。

試合で勝ち上ろうものならば、それがずっと続きます。

一昨年、法令が変わって学校体育の一環としてクラブ活動の指導員を外注するというのが始まりましたが、これは素晴しい事だと考えています。

進路指導についても、個人個人で成績が異なるので、ある意味その時のその生徒の持っている能力で自動的に進学先は決まります。

もしAIが導入されていたならば、指導する教師も、希望の振れている生徒、そしてその生徒の親は無駄に悩むことは有りませんでした。

ただAIはまだなかった時代ですから、高望みをする生徒親と担当指導教師とは、何回も何回もやり取りをしなければなりません。

まあ進学する学校で、その生徒の人生の輝きが変わってくるわけですから、親たちが必死になるのも当然なのです。

だから、指導する教師の疲労も相当なものでした。

バカ親との付き合いというのも教師のパワ-をドンドン奪っていってしまいます。

商業施設等においてはも必ず難癖をつけてくるクレ-マ-と言われる客がいます。

正論が通じず、自分だけが正しい、周りが間違っているという考え方から一歩も脱却できないのでやりとしているこちらの方が疲れてしまいます。

生徒の中には年齢からその手の者はいませんが、生徒の親の中にはその手の人間、所謂モンスターペアレントと称する人種がいます。

この人たちは 正論が通じず、自分だけが正しい、周りが間違っているということでズケズケと学校に文句を言いに来ます。

こちらは教師なので、言い返すとそこから揚げ足を取ってくるし、自分の子供が恥をかくことに気が付いていないので無敵です、こういう親たちとやり取りするとかなり疲弊します。

教師として、働き続けることは、ある意味割り切りがないと続けられません。

例えていうと、同じ方向を向いていない集団を曲がりなりにも前を向かせて進ませる動物達の調教師であり、文句しか言ってこない苦情電話の受付係であり、いくら残業しても申請できないサービス残業が多い会社のメンバーでありというような局面が普通になっています。

ただ私が教師になってからそれが初めてわかったとか、大きく様変わりしたとかというのではなく、学校の先生は昔から多かれ少なかれそんなものだというのは世間で認知はされていました。

だから、教師から、学年主任になり、教頭になり、場合によっては校長にまでなる人は、それらのバランス感覚が非常に取れた人だということが出来るでしょう。

なりたての教師に多い 青臭い感覚でずっとおれるわけはなく、でもあるところでは教師としての志しを貫かないと教師している意味がありません。

いい先生と言われる人は、その微妙な所を押さえながら教壇に立ち、学内活動を率い、父兄とも対座しています。

これ、結構大変です。

それに見合うのが、生徒たちのキラキラした目と何割かの学生たちの明確なる進歩の足跡というのが実際の所です。

 

■私が教職をやめた理由

私が教職を離れた、というより学校の中の人間関係から逃避したのは、日本の学校にどこでもある「いじめを隠す体質」であります。

校長、教頭としては対外的には「いじめ」がないのが好ましく、基本的に学校にいじめは存在しないというのがまかり通っている。

スケープゴートにされたわけではないが、子供のいじめが外部の人たちに知れることになり、その責任を校長、教頭が取ろうとしない、あるいは「いじめは有ってはならない。」という建前が、まかり通る教育現場の体質にも嫌気がさしてきたからでした。

同じ思いの男性教師もいて、私と前後して学校に見切りをつけました。

私の場合、先生でなくなった、即勤労社会人で無給になってしまいましたが、男性の場合そうはいきません。

子供たちに勉強を教えたいという思いの強い彼は地元の進学塾の講師に転職しました。

今でも会うことがありますが、生き生きと受験生たちに対峙して数学を教えています。

一方、私の方はきりの良いところで、教師の職業に見切りをつけて家に入り、いわゆる専業主婦という生活に切り替えたのでした。

本当に楽になりました。

つきものが取れた様に気持ちが楽になりました。

ただ子供たちとは何らかの形で触れ合っていたので画策しているところです。

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