学校・保育・教育の体験談

教員の世界!厳しい現実から体調不良になり専業主婦へ

投稿日:2021年10月16日 更新日:

・何かと責任を押し付けられる担任!

私が教員を辞めることに決めた理由は、とにかく給料が安い割には厳しい仕事内容だと思ったからです。

もちろん、私自身も現実に教員になる以前から、教員の仕事とはどんなものかということ位はわかっていたつもりです。

しかしながら、ここまで現実が厳しいものだとは想像することができませんでした。

元々、精神的にも強いものを持ち合わせており、タフなタイプですので大丈夫だと思っていましたが、ダメでした。

よく、「学校の教員は休みが多くていいな。うらやましい。」などと言われますが、決してそんなことはありません。

とりわけ、夏休みについては、子どもたちが2ヶ月近くも休むことから、教員も休んでいるのかと勘違いする人も多いのではないでしょうか。

実は以前に私が担任を務める子どもの保護者からとんでもないことを言われたこともあります。

「給料泥棒なのでは?」的な発言にショックを受けました。

私だけではないでしょうが、子どもの夏休み期間中には研修や出張はもとより、研究や生徒からの提出物のチェックまでこなす必要があります。

そういう意味では、普通に授業をしている方が楽かもしれません。

更に、新型コロナウイルス蔓延に伴い、子どもたちの健康チェックやリモート授業の準備までしなければなりません。

おまけに、対面授業を希望する子どものための準備もあり、それも大変です。

なんやかんやで一番大変な思いをしているのが、教員といえるでしょう。

万一、担当するクラスでクラスターなどが発生すれば、たちまち批判の矢面にさらされます。

幸いにも私のクラスではありませんでしたが、常に保護者や教育委員会からのプレッシャーに怯えていました。

校長先生や教頭先生は「何でも相談して」などと言ってくれますが、現実的にはすべて担任がやらなければいけません。

あくまでも社交辞令といえるのではないでしょうか。

▪低下するモラル!モンスターペアレントが脅威

いわゆる、モンスターペアレントの存在も、私の教員人生にとって辛いものでした。

自分の子どもが可愛くて仕方ないのはわかりますが、最近の親御さんは異常とも思えるような言動が目立ちます。

端的に言うと、自分の子どもが常に中心にいないと気が済まないというものです。

学校のクラス編成はおおむね40名程度であり、その全ての生徒に対して分け隔てなく接する必要があります。

個別指導の塾と勘違いしているのではないでしょうか。

ある年の運動会で、クラス全員の集合写真を撮影。

むろん、希望者だけに写真を焼き増しして配布することにしましたが、「なぜうちの子どもが写真の真ん中じゃないの!」とクレームをつけてくる親御さんもいました。

ただただ、呆れるばかりです。

 

▪おかしな査定制度

モンスターペアレントの存在も私にとって、鬱陶しかったですが、教員同士の人間関係についても、色々と苦労しました。

多くの人は知らないでしょうが、教員の人事査定は基本的に校長先生が行います。

「信じられない」と思う人も多いかもしれませんが、教員の世界にもサラリーマン同様に昇給や昇格などがあるため、忖度が働くことになります。

影では校長の非難や批判を展開している人も、いざ校長の前に行くと愛想をふりまくるという光景も少なくありません。

流石にこれにはウンザリしました。

教育者たるものが人の顔色を伺うようなことではいけないのではないでしょうか。

変な権限や裁量を得た校長もしばしばおかしなことをしでかします。

部下である教員たちに対して高圧的な立ち振舞いをするのです。

「俺に逆らったらどうなるかわかってるな」と言わんばかりの暴挙に出るのです。

なんとも嫌な光景でした。

私は教育者としての道を邁進することだけに注力していたため、校長先生への過度な遠慮は一切することなく、教員の仕事に打ち込みました。

 

▪解放された自分!主婦の道を選択

愛情を注いで真っ直ぐな気持ちで接していれば、子どもたちはしっかりとその思いにこたえてくれます。

だからこそ、私自身も粉骨砕身がんばることができました。

しかしながら、モンスターペアレントによる執拗な攻撃や教員同士の不毛な議論、軋轢に耐えることができませんでした。

そして最終的には体調を崩してしまい、教育者としての道を断念せざるを得ませんでした。

紆余曲折はありましたが、何よりも嬉しかったのが、担任したクラスの子どもたちからの言葉です。

「先生、辞めないで」「元気になったら戻ってきて」などの言葉の数々には涙が溢れるほどの感銘を受けることに。

主婦としての道を選択した私の決意については決して後悔はしていません。

幼少の頃から憧れの気持ちを抱いていた教員になれたことは本当に嬉しく、私の財産になったのではないでしょうか。

今のところは自宅で主婦をしながら、ユーチューブやライン、フェイスブックなどを使ってブログなどを楽しんでいます。

誰かの役になれば幸いです。

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