・初めての社会人、ゲームの総合ショップ。
現在40代の男性です。
20代前半当時、初めての社会人はゲームの小売業でした。
リアル店舗に所属し、接客をメインに働きました。
営業時間はAM10時からAM2時と、深夜帯まで開いているお店でした。
朝と夜のシフト制です。
ゲームはソフト、ハードとも粗利益率が低く、買取がメインになります。
よって新品は兎も角、中古買取が生命線になります。
会社からの指令も必然と「買取を増やせ」というものでした。
買取のポップを作ったり、中古コーナーのレイアウトを考えたりと日夜働きました。
ゲーム以外にもお菓子などの百均商品、DVDなどの映像商品も取り扱っていました。
店長から色々と指導を受け、順調に仕事をこなしていきます。
店舗では大きな失敗はありませんでした。
バイトとの関係も良かったです。
・初任給は14万円
初めての給料日。
仕事で忙殺され、月が変わっていることに気づきませんでした。
給料明細には社保完備で手取りで14万程。
「ちょっと少ないなあ」と、想像していたよりも相当低い金額でしたが、深く考える暇はなく日々忙しく過ごしました。
一日10時間以上働いていましたが業務内容はやりがいを感じていたのでしょう。
ゲームも好きでしたから。
給料日に先だって会議が行われました。
店舗から30分ほど離れた本社で行われます。
私は初月なので参加しなくてもいいと言われました。
会議から戻った店長が少し覇気がありませんでした。
・店長の様子がおかしい
入社当時のオリエンテーションでは「実力主義でどんどん昇給可能、ボーナスは年2回、残業代全額支給」という文言がレジュメに並んでいました。
結果を残せばいずれは給料も14万から増えていくのだろうと考え、業務に打ち込みました。
入社2か月目。
初めての会議。
私は見学という立場。
しかし緊張と沈黙に包まれた会議でした。
訥々と報告する店長。
すると部長が店長を叱責します。
「こんなバカげた売り上げがあるか」「死ね、カス」といった罵詈雑言・・・。
店長は「はい」と俯くばかりで、店頭での店長の元気な姿は会議室にはありませんでした。
それ以外にも部長が店舗に来た際は店長が呼び出されます。
やり取りを横で見聞きするのですが異常なぐらい店長が委縮しています。
世間話ですら泣きそうな声で応対していました。
一方の部長は口が悪く、態度も悪い。
仕事中にサボってパチンコに行くこともありました。
いじめの構図に近いものがあります。
ある日、本社勤務の係長と話をする機会があり、部長についての話題になった際に「あの人はそういう人だから。あの人が原因で何人も辞めている」と言っていたのが印象的です。
店長の態度も納得ができました。
・徐々に心身とも生活が苦しくなる
入社半年。
仕事も独り立ちできるようになり充実を感じるようになりました。
しかし一方で切実な問題が起き始めていました。
貧困です。
月末は給料日前になると預金がなくなり、食事に困るようになりました。
学生時代に貯めた貯金はあったものの所詮僅かです。
両親は早くに亡くなっており、頼れる者はいません。
ゲームや身の回りの物を売って何とかしのぎました。
そのような状態が毎月、退職するまで続きます。
一方で会議でも発言機会を与えられるようになりました。
自身が行っていること、売り上げへの施策、目標設定など自分なりに申し上げるのですが部長からは「お前もゴミか、情けない」などの返答。
全く相手にされていない感じでした。
ある日、部長に電話をした際にも「なんや」からはじまりめんどくさそうな返答。
挨拶もなくガチャ切りされるなど、人格を疑うような言動が散見されました。
店長、係長からは「気にするなよ」とフォローを受けましたが部長の存在は多大なストレスになりつつありました。
・年末になるころには
月日が経つにつれて生活はますます苦しくなりました。
そういえば夏のボーナスは・・・?ありませんでした。
気にした時にはもう年末。
冬のボーナスも当然なし。
業績は上がっていましたが賞与については何の説明もありませんでした。
体重は入社当時に比べ10キロは痩せていました。
食事は常時カップラーメン。
携帯代や駐車場代など色々滞納し始めるようになりました。
給料が出たら携帯代は先に払うようにしていました。
仕事は常に「買い取って売れ」の命令。
残業時間も伸びていき、毎月100時間近く残業するようになりました。
給与は変わらず手取りで14万のままです。
持病のアトピーが一気に悪化し始めました。
「病院に行け、汚い」と部長から言われましたが、病院代すら捻出できませんでした。
同時に心ない言葉に傷つきました。
顔はどうしようもないのですが、両手足の関節部は包帯を巻いて耐え忍びました。
なお、店長がうつ病と診断され休職したのはこの頃です。
かわりに係長が2日に1回、2時間ほどですが店を見てくれるようになりました。
・そして1年半が過ぎ
部長からすれば体の良いサンドバック要員だった店長がいなくなり、矛先は私に向いていました。
「アホ、カス、気持ち悪い、死ね」は当たり前の状態でした。
先述しましたが業績は上向き続けていましたが、叱責こそされるものの褒めるということを受けたためしはありません。
給料やボーナスはなし。
交通費もなぜか削られました。
アトピーは良くなることはありませんでした。
部長の言動に対し、誰に相談しても「ああいう人はどこの会社にもいる」と取り合ってもらえません。
社長ですら「彼は気が強いタイプだが仕事はしてくれる」と考えていたようです。
パチンコなどサボっているのに。
流石に限界になり、退職を申し出ました。
この頃には電気を止められたこともありました。
最後は一度も使ったことがなかった有給を消化しました。
その際に労基にかけあい、不当にストップされていた交通費を出してもらい、皮肉にも退職してようやく生活にゆとりができました。
アトピーも軽快していきました。
・退職後
次の仕事は介護にしました。
こちらも薄給のイメージですが小売り時代に比べ十分食っていける給料でした。
さて、ゲーム小売りで得られたものはポップ作成など、人を引き付ける広告活動の能力、接客技術、バイト達をまとめ上げるリーダーシップ。
これらがスキルとして伸ばせたかな、と思います。
一方で重労働の薄給ではまともに生きることが困難です。
パワハラも日常的であり、ガバナンスも機能していない状態だったため、さっさと辞めて正解でした。
再就職は一般企業なら困難かもしれません。
しかし売り手市場の介護なら未経験でも採用してもらえました。
介護は自身に合っているのか今でも続けています。