①高校教師へと
私は本当に1年間だけですが、高校で教師をしておりました。
大学時代の経験を活かし、体育系の教師になりたくて学生の時から奮闘し、ようやく高校の体育の教師となることが出来ました。
高校の教師になるのは私が学生時代にテニスをしておりテニスを部活で指導しながら更には授業で色んな生徒にテニスの楽しいところを伝えたかったので、夢となっていたのですが実現して感無量。
緊張して赴任する初日は吐き気で死にそうだったのを覚えています。
②最初は楽しかった
赴任式の当日、私は緊張で朝からピリピリして吐き気がすごく学校に着くまでも着いた後も気が気ではない時間を過ごしていました。
こんなに苦しいことがあるのか?と思うほどに苦しい時間でしたが、いよいよ赴任式の式が始まってしまいました。
私は台の席から立ち上がり校長から言葉をもらいみんなの前で話をすることに。
もう緊張が止まらなかったですが、割と生徒達は話をしっかり聞いてくれて拍手も大きな拍手をしてくれて初めてその時高校の教師になったのだ、と感じました。
そしてその後赴任クラスの1年1組へと行くこととなりました。
私もある意味で赴任一年生みたいなものなので、生徒と同じような感覚にはなっていましたが、教室に入ると厳しい現実が。
③大人のような性格
生徒達は本当に大人のような性格で、私が思っていた純粋な生徒などほとんどいないと言うことを思い知らされました。
私が教室で少しでもなにかミスをすればチクチクといじられるし、私が寝癖をつけて学校へ行けば、かわいー!!とかふざけて女子生徒が絡んできて私の反応を楽しんでいるのが伺えました。
そんなことを繰り返しているとテニス部の副顧問になることができた私にまた問題が起きたのです。
④パワハラテニス教師
私は元々スポーツが得意でテニスに関してもキャリアが長いこともあり、全国へも行ったことのあるレベルでテニスをしていました。
そのため、赴任後すぐに副顧問にもなれましたし、その点は非常にありがたかったのですが、私があまりにもレベルが高く最高顧問の部長の50代の先生がかなりご立腹に。
私としては本気でテニス部をレベルアップしてもっともっと上の世界を見てもらいたい、という熱い思いがあったのですが、その先生は今のままの現状維持で十分と言う感覚でした。
別にそれでも悪くはないのですが、この先生の態度が悪すぎるのを私は見かねて歳上でしたが注意してしまいました。
その後、パワハラが始まります。
「私はお前の上司だ、いうことを聞け!言うことが聞けないのなら部活にも来なくていいし、校長に伝えてなんらかの部活に異動させる」とのとんでもない言葉が。
しかもこの先生、私と同じ一年生の担任を持っていて学年主任でもありました。
そのため、私も力に押されてしまいなかなか強く話すことが出来ず、非常に困ってしまいました。
その後、私は学年でもテニス部でも萎縮した日々をおくってしまい、非常に心の苦しいと毎日が始まってしまいました。
⑤優しいテニス部の女の子
そんな辛い日々の中、テニス部の生徒の女の子が私に優しくしてくれました。
本当に私のことを考えてくれていて、色々と若いなりに相談に乗ってくれたり、どの生徒がどういう境遇があり、どういった趣味があるかなど、私が今後テニス部の生徒とかかわる上で大事になりそうな情報をたくさん教えてくれたのです。
そんなことを繰り返しているうちに私はその生徒と何か変な関係にあるのでは?との噂を学校内に流されてしまい、また次の事件が発生してしまうこととなったのでした。
⑥モンスターペアレント
その後判明したのがその女の子の親がかなりのモンスターペアレントとの情報。
そんなことを知った瞬間にもうその子の親が授業後に学校に押しかけてきました。
「うちの娘をたぶらかしているテニスの顧問をだせ!うちの娘がテストの点数が落ちてるのもそいつのせいだ!」との大声が。
もうなんでも言えばなんとかなると思っているのでしょうか?
明らかにおかしなことが起きています。
私は正直二人きりで学校の中以外で関わったこともないですし、たぶらかしたこともありません。
更に言えば私は当時結婚を考えていた彼女もいましたし、赴任したばかりで右も左もわからないのにそんな事を言われて本当に病んでしまいました。
そしてそんなことを言われ、テニス部にいにくくなった私はテニス部の顧問を自ら辞めることとしたのです。
⑦鬱病となり退職へ
自らテニス部を退いてからはわたしが目標としていたものが崩れて落ちてしまったこともあり、非常に病んでいました。
更には家でも彼女に強く当たるようになったことで関係が悪化し、別れることとなってしまいました。
その結果、私はもう誰にも相談できない状況となり、鬱病となってしまい、学校を長期的に休職することとなってしまったのです。
もう休んでしまったらそう簡単に学校に戻ることはできず、楽しいこともできたテニス部の日常も戻らず、辛い中で私は退職したのです。
これがリアルな私の教師体験です。