何の悩みもない教師生活1年目
夢の小学校の教員になって毎日がキラキラしていました。
何て可愛い子供たち「小学校にして良かった」と自分の正しい選択に迷いはありませんでした。
担当は3年2組若いと言うだけでまるでアイドルのように休み時間に校庭に出れば子供たちが集まってきて自分を見失っていたかもしれません。
周りの先生方も良い方ばかりで、手取り足取り教育のノウハウを教えてくれてパワハラのニュースなどをテレビで目にすると「信じられない、これ本当に日本なの?!」と驚きの気持ちで眺めていました。
特に1組のベテランの鈴木先生のフォローは神級でした。
研修で授業の穴を埋めてくれることだけじゃなくクラスの小さなトラブルも私が気づく前に素早く抑えてくれていたんだなと今は気づけます。
鈴木先生は私と真逆で教師生活最後の年に私と一緒に3年生を持つことになったので、教師生活の集大成のように私には何も言わずに動いてくれていたんだなと思わされます。
振り返ると一年目はジャズの一曲が流れていつの間にか終わるように、生徒とも保護者とも向き合うことなくただ通り過ぎた様な一年でした。
ただ、一年目なんて誰でもこんな感じなのかなとも思います。
問題児は既にいた
二年目に入り一通りの研修も終わり、自分としては教師として大分成長した気になっていました。
4年2組の担任に持ち上がり、変わったことと言えば、1組の先生が鈴木先生じゃなくなったことだけと勝手に認識していました。
ところが4月の始めから既に何かが違っていました。
たまに困るなと思う事があった村木君が手に負えなくなってしまったのです。
授業中椅子の上に立って大きな声を出したり、急に出て行ってしまったり。
「去年はこんなことしなかったのに!」と困り果てていました。
牛乳事件から授業崩壊へ
ある給食の時間私の教師生活のベクトルを負に決定づける出来事が起きてしまいました。
村木君がゴキブリの死骸を私の給食の牛乳に入れたのです。
気づいた私はものすごい声で悲鳴をあげて取り乱してしまいました。
驚いて1組の山下先生が入って来て「誰がやった」と怒鳴りつけました。
皆黙っていましたが山下先生が「村木か?先生に謝りなさい」とまた怒鳴りました。
私も村木君に違いないと思いましたが「誰がやったか分からないけど絶対やめようね」と言ってその場では終わりになりました。
何となくその日以来、村木君以外の子供たちも私の言う事をきかなくなりました。
授業中の私語も増えて特に男子はふざけてばかりで日に日に手に負えなくなって行きました。
これを授業崩壊と言うんだなと、手術室で末期がん患者のインオペに立ち尽くす医師のような心持の日々でした。
モンスターペアレント登場
その後辛い状況は授業中のみならなくなったのです。
当時は動物園の檻に一党のライオンと閉じ込められているようなそんな気持ちでした。
ライオンは恐ろしい人間、モンスターペアレント、村木君の母親です。
きっかけは授業中に起きた男子のトラブルです。
机を向き合わせてお楽しみ会の企画案をグループごとに話し合っていました。
村木君が他のグループの書いている紙を取り上げて見始めたので、離れたグループの矢作君が「やめろ」と正論を言いました。
すると村木君が矢作君の顔に向かってペンを投げて眉間に当たり切れて流血しました。
その時「あ~もう終わった」と絶望したのを覚えています。
始め山下先生が来てくれたのは覚えていますがその後の記憶がはっきりありません。
矢作君のお母さんに連絡して謝罪し彼は早退しました。
縫うほどではなかったのでとりあえずやれやれとは思いましたが、こういう場合もちろん加害者の親にも連絡することになります。
バタバタで村木君の家に電話したのは7時を過ぎていました。
状況を伝え、矢作君の家に連絡が取れるかどうかだけ聞きました。
確か同じ野球チームかサッカーチームに入っているはずだったので知っているだろうと思いましたのが念のためです。
この一言がクレームに繋がりました。
翌日私が謝罪を強制したと校長室に怒鳴り込んで来たのです。
校長室に呼ばれ話し合いの場が持たれました。
私が授業中生徒をちゃんと見ていないから、ペンを投げるようなことになってしまった、それなのに謝罪を求めるとは言語道断という主旨でした。
納得出来るはずもありませんでしたが、かといって成すすべもなくひたすら謝るしかありませんでした。
最後に「謝れば済むってもんじゃないから」と吐き捨てて出て行かれた時のあの凍った背中の感じを思い出すと手が震えてきます。
退職までの経緯
その後は村木家に教室の内外で落ちるとことまでとことん落とされた感じです。
教室内では村木君の行動がエスカレートしクラス運営はめちゃくちゃ、教室外では村木母の誹謗中傷が巷で猛威をふるい続けました。
牛乳事件の時犯人に決めつけられたとか、山下先生と不倫しているとか根拠のない噂話が、村木君が所属する野球のクラブチームのネットワークから学校中にどんどん広がって行きました。
風船のように重みのない存在になっても下向きにつかれては何とか上に少し跳ねる、これを暫く繰り返していました。
それがついに山下先生の奥さんが怒って学校に電話してきたのがきっかけで完全に風船が割れて、布団から出られなくなり半年の休職の後退職届を出しそのまま学校に行くことはありませんでした。
現在はどういう気持ちか?
退職からさらに半年が過ぎました。
最後はあんなクラスになってしまったけど、今は子供たちには会ってみたい気持ちにまで回復しています。
心療内科を受診して週1のカウンセリングは今も続けています。
子供も勉強を教えるのも好きなのでまた出来たら教師に戻りたいと思っています。
一番私の心を傷つけたのはモンスターペアレントに違いありません。
あの動物園の檻からはあの時は自分で脱出することは出来ませんでした。
運よく教師に戻れたとしてもあの檻の中にはもう二度と入りたくないと思います。