軽作業・物流・倉庫・運輸・配送の体験談

給与未払いで人間不信になり、仕事を辞めた後うつ病に

投稿日:2019年5月9日 更新日:

辞めるまで

私は若い頃、新聞配達をしていました。

学校に通いながらの仕事でしたが、そのうち学校よりも新聞配達に一生懸命になるようになり、そのまま学校を辞めて新聞販売店に就職しました。

それから約10年働きました。

毎日配達は一刻を争う作業で、いつも配達前は殺気立っていました。

毎日3時に配達で朝7時くらいに帰り、夕刊配達の午後3時まで寝て、そこから夕刊配達、配達後5時くらいから速い時で6時、遅いときは9時くらいまで翌日の朝刊の折込作業をしていました。

目が回るような毎日でしたが、その頃は夢があったので働けました。

でも30歳近くになって、もう無理かとあきらめ、仕事を辞めて田舎へ帰りました。

 

最後の仕事

最後の配達は朝刊配達でした。

引き継ぎの方に教えながら、「早く終わらないかなぁ」と思っていましたが、配達が終わり、店長から「はい、終わりだね、ご苦労さんでした」と言われた時に、なんともいえない悲しいというか切ないというか、そんな感情になりました。

販売店からアパートまで帰る道の足取りは地に足が着かない感じでフワフワして、「ここの往復も今日で最後か・・・」と寂しい気持ちでした。

 

帰省して

田舎に帰り、帰ったらしばらくは何もせずにゆっくりしようと思っていました。

ある程度貯金もありました。

母親は「よく帰ってきたね」と駅まで迎えに来てくれました。

その横で父親はムスッとした顔のままでした。

上京も歓迎してくれなかった経緯もあり、「いまさら何のこのこ帰ってきているんだ」という思いもあったでしょう。

帰って半年は家でブラブラしていました。

毎日遅くに起きて、テレビ見て、ごはん食べて、田舎なので街の方まで遊びに行くには車が必要だったので、ずっと家にいました。

私の実家は田舎の小さな集落なので、うわさはすぐに広まり「あそこのせがれは何もせずに遊んでいるらしい」といろいろ言われるようになりました。

 

何とか就職してみたけれど

1年くらい家にいる状態が続き、見かねた祖父の知人の紹介で、工場に就職することができました。

車は持っていなかったので自転車で通勤しました。

街の工場なのでだいたい1時間半くらいかかりました。

工場の仕事は長時間立ち仕事、重いものを運ぶ重労働でもあったのですが、なんとか知人の手前もあり、頑張って働きました。

 

給与未払いから人間不信

しかし、半年くらいたって急に給与未払いが始まりました。

従業員7人くらいの小さい下請け工場でしたが、社長は急に「来月までまってくれないか」と言い始めました。

それを信じて働きましたが、次の月も「来月にまとめて払うから」と言って払ってくれませんでした。

私は社長に悪いイメージは持っていなくて、むしろやさしいおじさんというイメージでした。

しかし結局3ヶ月経っても給与未払いが続き、母親に相談して辞めました。

そしてそこからは母親が社長と電話でやりあってくれたのですが、結局音信不通になりました。

そこから人間不信がはじまりました。

 

引きこもり、そして支援施設へ

その一件があり、こんなに頑張ってきたのになんでこんな目に合うのかと、人生が嫌になり、引きこもり始めました。

毎日部屋でお経をよんだり、へんな黒魔術の円陣を部屋中にかいたりしていました、挙動がだいぶ変になっていきました。

夢に破れ、挫折のあとに騙されて、もうどうしたらいいのかもわからないし、昔の友人とも連絡がとれない。

なしのつぶてで何かしなければと思い、焦燥感から母親にあたってしまうこともありました。

父親は無関心でした。

祖父もあまり気持ちを汲み取ってはくれず「遊んでいるんなら刑務所でも入れ!」と怒鳴られました。

確かに引きこもっている状態は遊んでいるように見えるかもしれませんが、私は私で苦しんでいました。

それを理解してもらえなかったことが苦しかったです。

何もする気が起きず、「燃え尽き症候群」みたいな感覚ですごしました。

完全な抜け殻でした。

 

なんとかハローワークへ行ってみる

その後、ハローワークへは行ってみましたが、やりたい職業があるわけでもなく、かといって贅沢が言える立場でもなく、何回もハローワークを往復しました。

無料で配られている求人雑誌にも何回も目を通しました。

 

相談員さんとの出会い

だいぶ気分が落ち込む日が続き、母親に勧められ、精神科に通いはじめました。

そこで「うつ病」と診断されました。

その病院で精神障害者支援のための「相談員」という方を紹介されました。

意外と「うつ病」という診断、精神障害であるということはすんなり受け止められました。

むしろそれが原因かと安心さえしました。

相談員さんと話をして、自立支援の施設を紹介してもらいました。

そこは就労を継続してできるよう支援する施設で、就労移行支援も行っていました。

1年くらいそこで働き、障害者雇用という枠ではありますが、一般企業へ再就職することもできました。

今はそこで働いて2年目くらいになります。

一度仕事を辞めると、なかなか再就職することは仕組み的にも、そして精神的にも厳しくなるものなのだなと痛感しました。

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