初めての不登校児
その子のことを知ったのは、新しい学校へ赴任した直後のことだった。
同じ学年になった教諭から、
「先生、次のクラスの名簿です。」
と1枚のプリントを渡された。
初めての学校だったので、当然前学年の児童の様子を知ることもなく、ドキドキしながら新しく関わる子ども達の氏名が記載されたプリントを手にした。
教師というものは、何年キャリアを積もうと、4月は常に新鮮な気持ちになるものである。
「どんな子ども達なんだろう。」
「賢い子どもはいるのかな。」「いじめるヤツなんかいないのかな。」
「親はどんな親なんだろう」・・・・色々な期待と不安がかけめぐる。
「先生のクラスの、〇〇子ちゃん、ちょっと学校に来ていなんですよ。」
そう打ち明けられたのは、名簿を渡されたすぐ後のことだった。
「へえ、来てないっていうと、どれくらい?」
私が聞くと、彼女は、
「もう半年近くになります。」
半年間、学校へ来ていないとすれば、もう立派な(?)不登校である。
私は、自分のキャリアで不登校児に接したことがなかったので、ちょっと不安になった。
彼女はなぜ不登校になったのか、これまでどんな働きかけをしてきたのか、始業式が始まる期間に知っておかねばならない、と感じていた。
初めての家庭訪問
担任発表があって間も無く、不登校の子どもの家にも連絡を入れた。
「初めまして。あの、今年娘さんの担任をさせていただくことになりました〇〇です。どうぞよろしくお願いします。」
「ああ、そうですか。」
電話に出た母親からは、そっけない返事。
「つきましては、近いうちに家庭訪問などさせていただくとありがたいのですが、いかがでしょうか。」
「別に、構いませんよ。」
またしても、そっけなく答えられた。
4月の後半に始まる家庭訪問。
家庭訪問期間中は、件数によってゆとりが生まれる日もある。
そうした日の中から、不登校の〇〇子のところへ家庭訪問を申し入れた。
前担任へ提出された家庭への地図を見ながら、どうにか目的の家へ辿り着いた。
夕方5時近くなっていた。インターホンを鳴らしてみる。
「はい?どちら様?」
時間通りに家庭訪問したはずなのに、なぜか質問された。
「あ、小学校から参りました、〇〇です。4月から〇〇子さんの担任をさせていただいています。」
「ああ、そうですか。はい、どうぞ、お入りください。」
一戸建てで、どこにでもあるような普通の家。
ただ犬が走り回れる程度の庭付きなので、立派といえば立派な方だ。
家に入って、まず驚いたのは、掃除が全くされていない。
というか、したのかもしれないが、部屋の隅には埃が真っ白く積もっている。
四角い部屋を丸く掃く、とはまさにこのことだ。
しかも、食卓(と思われるテーブル)には、半分程度を漫画雑誌が埋め尽くし、数十センチほどの高さになって積まれている。
母親に、〇〇子が不登校になった理由などを尋ねるが、どうもはっきり答えない。
理由を聞こうとしても、はぐらかされる。
もしかしたら、この母親もコミュニケーションに障がいをもってるのかも、と疑ってみたくなった。
結局、その日は、ほぼなんの収穫もなく、学校に引き返すことになった。
モンスターの逆鱗に触れた
その後、週1回程度、学校で使ったプリント、通信などを持って、〇〇子の家に訪れるのが習慣となった。
ただ、不思議なことに、母親は〇〇子本人と会わせようとしないのだ。
今なら、児童相談所が直接行って、子どもの安否確認をする事態となっているだろう。
当時はまだそこまで子どもの虐待が一般的なものとして認知されていなかった。
家庭訪問も10回を過ぎた頃、思い切って言ってみた。
「あの、よかったら〇〇子さんに会わせていただけませんか?本人さえよければ、ちょっと学校に行って中の様子などのぞいてみたらどうでしょう?」
すると、母親の態度が激変した。
「あなた、うちの子をどうするつもり?よその男にうちの娘を預けられるわけないでしょう。校長からそんな風に命令されたの?うちの娘は、大学病院から“刺激しないように”って言われてるのよ!」とすごい剣幕。
「あ、いや、そういうことではありませんが、まだ〇〇子さんに一度もお会いできていないので。」
「私が、今から学校に行って、話をします。」
もう6時を過ぎていたが、そこから学校での管理職、私、母親の延々とした不毛な会議。
1時間以上にわたって私の無神経さについて母親が校長に訴え続けた。
話は飛び火し、過去の学校の取り組みや担任のことなどにまで及んだ。
不登校児のその後
〇〇子は、結局小学校後半の3年以上学校へ来ることはなかった。
聞けば、数年後、同じように不登校になった姉と2人で過ごしているところを児童相談所に保護されたらしい。
母親は、食事を満足に与えることもなく、自分はアニメや漫画にふけり、子どもの世話はほとんどやっていなかったそうだ。
保護された時には、体重20kg台でガリガリに痩せた〇〇子の髪の毛は腰の長さを超えていたという。
死に至ることはなかったからよかったが、小学校中学年のうちに学校が中心となって保護できていれば、もう少し豊かな子ども時代が送れていたはずだ、と反省するばかりだ。
現在もネグレクトによる子どもの虐待は頻繁に起きているが、児童相談所や学校にもう少し法的に強い権限が与えられなければ、こうした問題は繰り返されることになるだろう。