学校・保育・教育の体験談

私立と公立の保育園の違い。多様化する子供と保護者

投稿日:2021年10月18日 更新日:

・はじめに

私は、都市部の私立の保育園で2年間勤務した後、夫の転勤で地方へ引越しをし、市立の公立保育園で5年間勤務しました。

保育士として勤務した7年間を振り返り、感じたことを書かせていただきます。

 

・保育士をしていて良かったと思うこと

もともと子どもが好きだったので、毎日子どもたちに囲まれて仕事ができることは幸せでした。

子どもは体も心もぐんぐん成長していくので、成長過程を支え、成長のよろこびを子どもや保護者と分かちあえることがやりがいでした。

入園した時はまだ歩けなくてミルクを飲んで、毎日泣いてばかりだった子供が、歩いて言葉を発するようになるとその成長スピードに驚かされます。

足に豆をたくさん作って、涙をにじませながら何度も竹馬に挑戦し乗れるようになった時の姿に感動し、勇気づけられることもありました。

保護者から子どもの成長について相談を受け、一緒にどうしていくべきか考えることもよくありました。

保育園と家庭で連携して子どもを支えていくことには、とても神経を使いました。

しかし子どもが少しずつ成長し、保護者から感謝の言葉をもらった時はとてもうれしく、一緒にたくさん悩んで時間を掛けた甲斐があったと大きな達成感を感じました。

核家族化や地域交流の減少などから、子どもの悩みを一人で抱える保護者が増えている現状があり、保護者対応も多様化していると感じました。

大人になると、普段の生活の中で、思い切り走ったり、大きな声でみんなで歌を歌うという経験はほとんどなくなります。

保育士として、毎日子どもたちと遊びこむことは、自分自身の体と心の健康にもつながり、他の職種ではできないことだと思いました。

保育園給食のバランスが取れている点も良かったです。

自分では料理しないような手間のかかるメニューや、季節の野菜や地元の文化を取り入れたメニューを調理の先生が作ってくれました。

肉体的にもきつい仕事の中で、給食は元気の源となりました。

給食のメニューを調理の先生から教えてもらい、自分のレパートリーにできたことも良かったです。

・保育士をしていてつらかったことと、対処方法

受け持つクラスによって、大変さに大きく差が出ることが多いと感じました。

話を聞かず走り回ったり、友達に手を出してしまう子が多いクラスを受け持った時は、私一人ではどうにもならず心が病みました。

当時の園長先生に相談すると、ときどきクラスに手伝いに来てくれるようになりました。

一人じゃないと思うと気持ちが楽になり、ベテラン保育士の技法を学び、クラスをまとまることにつながりました。

発達障害やその疑いがある子どもが、10人に1人以上存在すると言われています。

保育士は医者でも臨床心理士でもないので、専門的に特性のある子どもに対してできることは多くありません。

発達障害の子どもを支援するセミナーに参加したり、医療機関でのリハビリの実習に参加したりして、できる支援を少しずつ増やしていきました。

発達障害の有無に関わらず、気になる子どもはクラスに複数在籍します。

家庭環境が不安定な子ども、外国籍の子どももいます。

一人一人が安心して自己を発揮していくためには、一人一人を理解してその子にあった対応が必要となり、個と全体のバランスをとることに苦戦する毎日でした。

子どもも保護者も十人十色で、年数を重ねたからと言って、次の年が前の年より上手くいく保証はないのが保育士です。

ですが、対応方法を学び経験していくことで、自分の引き出しを増やしていくことで自分が成長していることは子どもが鏡となり写しだしてくれるのだと思います。

 

・公立保育園と私立保育園

はじめに勤めた私立保育園は、人事異動がほとんどありませんでした。

そのため、ベテランの保育士が園のことを熟知していて、子どもの変化にすぐに気付くなど、安全保育がでている点は良かったです。

しかし、新卒や退職以外で保育士のメンバーが変わらない状態だったため、保育がパターン化したり、他の園に対して閉鎖的な印象でした。

子どもが地域の小学校に他の園の子どもたちと就学して馴染めるかが心配でした。

体操、製作、自由遊びというようにパターン化した生活も、小学校で重視するアクティブラーニング(主体的、対話的で深い学習)に適応できるか懸念されました。

次に勤めた市立の保育園は、市内10ヵ所以上園があり、保育士は定期的に異動する仕組みでした。

保育士が異動することで、それぞれの園が市の保育士全体で可視化され、問題の早期発見や解決につながっている点が良いと思いました。

反面、異動があるので、慣れて愛着のある職場を離れることは寂しくて不安になりますし、新しく子どもや保護者の状況を把握することから始めることになるので、一時的ではあるものの負担は大きかったです。

 

・保育士ならではの持ち帰りの仕事

普段は子どもとほとんどの時間を共にするので、劇の衣装や壁面の季節の装飾などは、家に持ち帰り自分の時間を使って作ることになります。

仕事だけでもくたくたになるので、うとうとしながら家で衣装にミシンを掛けていました。

私の場合は、裁縫や製作が好きでしたし、作業を母が手伝ってくれたのでだいぶ楽になりましたが、裁縫や製作が苦手出会ったり、一人暮らしの方にはつらい作業かもしれません。

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