学校・保育・教育の体験談

学童保育支援員として都内や地方で働いた体験談

投稿日:2021年12月8日 更新日:

『学童保育支援員のやりがい』

1つ目は、子どもの成長を感じられるところです。

以前は主に低学年が通う場所となっていましたが、現在は(自治体にもよりますが)1年生から6年生までの子どもたちが利用することができます。

途中で退所する子どももいますが、長いと1年生から6年生まで利用するので子どもの成長を感じることができます。

できなかったことができるようになったり、周りの友人とのかかわり方や下級生への気配りなど、ほんの些細なやり取りの中でも子どもの成長を感じる発見の毎日です。

2つ目は、子どもたちの笑顔です。

学童保育は、学校とも家庭とも違った空間です。

子どもたちも大人同様に子どもたちの世界があり、大人が想像する以上のことを抱えています。

そんな子どもたちの気持ちに寄り添うことは難しいことではありますが、楽しかった日でも、たとえ嫌なことがあった日であろうとも学童での時間を過ごすことで笑顔になってくれると、言葉では言い表せないほどの嬉しさで気持ちがいっぱいになりました。

『こんな学童支援員が望まれます』

よく子どもと毎日遊んでいるだけの仕事と捉えられてしまい、子どもに癒されたいという理由で面接に来られる方もいましたが、そんな甘い仕事ではありません。

子どもたちは学校で嫌なことがあったときには、その気持ちを引きずったまま学童へ来ます。

落ち込んで泣いている子もいれば、やり場のない気持ちを物にあたる子もいたり、友だちと衝突してしまう子もいたり、支援員に向けて気持ちをぶつけてくる場合もあります。

それは暴言だけではなく、手が出てしまうことはもちろん、ものが飛んでくるときもありました。

そんな状況もあるということを理解したうえで、自分は支援員として何ができるかを考え、この仕事を目指してほしいと思います。

 

『収入・勤務時間』

〈都内の場合〉

固定給となっており、賞与も年2回支払われていました。

その分勤務時間は長期休業(春休み・夏休み・冬休み)など関係なく毎日8時間勤務でした。

 

〈地方の場合〉

賞与は一応あったものの時給制でした。

また、保有資格に応じて金額も異なりました。

勤務時間は長期休業中は朝から夜まで8時間~時には10時間勤務などありましたが、通常は午後13時から19時までの勤務まででした。

 

あくまで私が体験した例ではありますが、自治体や委託された会社などの仕組みに応じて収入や勤務時間などは大きく異なると思います。

 

『働いている年代』

〈都内の場合〉

他の業種と同じように毎月一定の収入が得られるということもあり男性職員も多くいましたし、年代も20代から60代の方まで幅広い年代の方が働いていました。

特に多い年代は20代から30代の若い年代が多く見受けられました。

 

〈地方の場合〉

一定の収入を得ることが難しいということもあり、若い年代は多くありませんでした。

基本40代から60代の方が多く、若い年代の場合だと大学生がバイトとして入るほか、女性の場合は結婚後パートとして働く方が多くいました。

 

『人間関係』

〈都内の場合〉

女性だけでなく男性も多く働いていたということもあり、全くないというわけではありませんが、女性同士でもめたりということはあまり見ませんでした。

 

〈地方の場合〉

女性が全体の9割以上を占めていたということもあり、女性同士でのトラブルはよく目にしました。

気づくと派閥のようなものができあがっているなど、私が勤務していた学童でもあり板挟みになることもありました。

 

『仕事を離れた理由』

私は今はこの仕事を離れています。

それはライフステージを考えると継続が難しいと感じたからです。

女性によっては妊娠をのぞむかたもいると思います。

私も結婚を機に妊娠を望み妊活を始めましたが、あまりにも心と身体への負担が大きく、仕事は好きでしたがやむを得ず離れることにしました。

私が感じた継続が難しいと感じた理由としては、1つ目に身体を常に動かすため負担が大きいことです。

室内で子どもと遊ぶということもありますが、限られた人数で50人60人の子どもたちの見守りをしなければならないので、周りを見渡すためにも気になった子どもたちのところへ移動しては対応するを繰り返していました。

なので常に動き続けていなければならず、体力的にも厳しさを感じました。

2つ目は、時には身体を張って興奮してしまった子どもを止めなければならないため危険が伴うことです。

小学生とはいえやはり力が強いので、子どもを落ち着かせていると時にはあざができることもありました。

私の場合はまだ大きなケガはありませんでしたが、同僚の中には興奮した子どもの足がお腹にあたってしまうこともありました。

身近でこのような場面にも遭遇していたため、今後のことを考えた際に自分の身体を優先しました。

この2つのことが理由となっていますが、私がこの仕事から離れて2年ほど経っています。

マイナス面だけ挙げてしまいましたが、少しずつフォロー体制が整ってきている施設も増えてきているかと思うので、見極めてもらえればと思います。

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