①充実していた田舎町での10年間
大学を卒業して10年間、田舎ののんびりとした環境で教職を過ごしました。
もちろん「山あり谷あり」、順風満帆とはいかなかった教員生活でしたが、子どもたちだけでなく、地域や保護者、同僚にも恵まれ、有意義に過ごすことができていました。
初めは「教員なんて自分に向いてなかったかな」と後悔することもありましたが、忙しい毎日を過ごすうちに、自分の力を発揮する場面も増え、少しずつ自信もつけていくことができました。
初任校を転出する際には、送別会で思わず涙がこぼれたのを思い出します。
②大都市での勤務はまさにブラック労働
11年目から、都市部しかもその中心市街地にある学校へ転勤となりました。
長男が小学校入学するタイミングでもあり、実家のある都市への異動を希望していたのですが、自分の予想以上に中心の学校であったことに驚きを隠せませんでした。
その学校は、古くからの「研究指定校」。
その校風とプライド、また校長の腕力のせいか、研究に熱心な方ばかりが赴任するような学校でした。
私は田舎での10年間、たいした研究も行っていなかったのに、なぜその学校へ赴任することになったのかは分かりません。
ただ、「全員が研究という一つの目的に向かって努力する」学校は、居心地は悪くはありませんでした。
私自身30代という体力、気力とも充実していた時期だったので、毎日8時9時、遅い時は11時12時と、学校に残って仕事をすることも珍しくありませんでした。
今で言えば「ブラック労働」そのものだったと思いますが、当時としては、それほど苦痛には感じていなかったのも事実です。
③それは教職20年を過ぎた頃に起きた
都市部の「研究指定校」での勤務で、自分の教員として力を発揮する上での能力にも自信をつけた頃、次の学校への転勤となりました。
同じ都市部の学校ではありましたが、中心部よりはやや離れた住宅地にある学校でした。
校区には高級マンションや高級住宅街が点在し、また公舎などもある土地柄でした。
教育に関しては非常に関心の高い学校であるとも言えるでしょう。
子どもたちの能力も高く、全国共通の学力テストなどでは、常に市や県のトップ争いをするような学校でした。
都市部ではありましたが、近くには自然公園などもあり、子どもたちが生き生きと過ごすような環境が揃っていたと思います。
そうした学校で、いろいろな子どもを相手にし、いろいろな問題を抱えながらも、充実した毎日を過ごしていた7年目のある日のことです。
私は2年生を担任して、忙しい毎日を送っていました。
放課後、同僚と話をしているところへ、ある保護者が怒鳴り込んできました。
見れば1年前、5年生時に担任していた保護者です。
「先生、あなたは何なんですか!?」
まさに、キョトンです。
現在は担任と保護者との関係でもないし、部活でも特別活動でも何の関わりもない保護者から、「何なんですか」呼ばわり。
教頭に促されて、校長室でしばらく話を聞いてみることになりました。
怒りの原因は、「昨年、5年生の時、友達にズボンを下ろされそうになる事件があったのに、それを知らされなかった」ということでした。
男子が男子のズボンを下ろしてふざけあうという光景、小中学校ではそう珍しいものでもないし、自分にも経験があることでした。
もちろん、ふざけてズボンを下ろした子には厳しく指導をし、そうした悪ふざけも1回だけなので、すっかり忘れていました。
それを今になって、なぜ・・・?
④モンスターの影にモンスターあり
モンスターを突き動かしているのには、別のモンスターの存在がいることを知りました。
同じクラスだった子の母親です。
「先生は、ズボンを下ろされても見て見ぬふりをしていたらしいよ」
「女子が大勢いる中で、ズボンを下ろされたらしいよ」
「先生は、学年主任や管理職にも全然報告してないらしいよ」
「みんな、〇〇先生が担任になって不安だったって言ってたらしいよ」
などなど、自分の子(こちらもかなりモンスターチャイルド)の情報と空想から、いろいろなデマを吹き込んだらしいのです。
その後、それを聞いた父親、市役所に勤める公務員だったと思いますが、と共に来襲。
父親は再度の説明を求め、「録音させてもらいます」とレコーダーを机の上にドンと置きました。
そこで、こちらがどんな説明をしようとも、「学校に都合の悪いことを隠した」の一点張り。
父親は「教育委員会へ報告するからな!」という脅し文句と共に、2時間ほどわめき散らして帰って行きました。
⑤退職してみて思い出すことは
委員会の結論としては、「友達のズボンを下ろすのはイジメである」というもの。
委員会から保護者への謝罪もあったらしいが、学校には「気にしなくていいよ」という趣旨の返事でした。
約半年の間、この問題に振り回され、せっかく「いい学校」と思っていた7年間に泥を塗られたような思いです。
後から聞いた話ですが、元々この夫婦はうまく意思の疎通ができておらず、家庭も言い争いが絶えなかったとか。
そこでうまい具合に「夫婦共通の敵」として浮上したのが私だったわけです。
夫としても、妻にいいところを見せて、日常生活を挽回しようとしていたようでした。
今では、離婚され、子どももそれぞれで生活するようになり、家族関係は崩壊しているようです。
他人の言うことしか信用せず、自分で論理的に考えることができない女性には、当然の結末であったと言えるかもしれません。