・企業の簡単な概要と担当した職種と自身の基本情報
勤務していたブラック企業は、菓子類などを総合的に扱う商社になり、顧客先はスーパーマーケットやコンビニエンスストア、各種小売店や売店になります。
卸し業務をメインにしており、転職にて入社をしたのですが、前職も同じ卸業務だったので、当初は楽勝かなと感じていました。
入社時の年齢は29歳で、34歳で退職をしています。
5年弱の勤務経験になりましたが、給料は手取りで32万円程度とこの地域では少し高めの給料ではありました。
・任された仕事と無理を感じたことの始まり
会社は全国各地の菓子メーカーから商品を仕入れて、顧客先へと販売をすることが業務内容になりますが、私だけ前職の経験を買われ、観光土産の箱菓子等の販売部門を1人だけで任されました。
仕入れ品もありましたが、この会社がPBで作った菓子類が多く、一目見て分かったのですが販売能力はありません。
それでも会社側からは売り込むことを強く求められ、実際に顧客先に見本を持って商談に行くのですが、バイヤーさん達からは「いつまでも古い商品を持ってきてもらっても困る」と言われることが多くこれは当然のことです。
この時点で私は見切りを付けて、会社には商品開発部門がありますが、説得をしても出来の悪いPBしか作らないので、私が独自に仕入れルートを開拓して売れる商品を仕入れることになりました。
上司である営業部長からは自由に動いていいと言われていたので、会社内では私に逆らうような人物はいなかったことは良かった点ではあります。
・独自判断で仕入れた商品の販売と担当エリアの問題点
独自に仕入れた観光土産の箱菓子は、商談にて取り扱ってもらえるようになり、売り上げは観光部門では私が着任する前よりも200%以上アップの売り上げを記録しました。
非常に喜ばしいことでもあり、会社内でも高い評価を得ることができましたが、その背景には担当エリアについて無理をしていた事情があります。
通常観光土産品の卸し売り業の場合、営業マン1名で約20件程度の顧客が限界とされていますが、私の場合都市圏のホテル、温泉街のホテル、国際空港の売店さんなど全てを合わせると60件以上の担当です。
特に空港を担当する営業マンは、競合他社でも空港専属として朝から夕方まで空港内に張り付いて営業をするのですが、私の場合は毎日向かうことができないので、時間的にかなりの無理をして温泉街に対しては以前は週に3回の訪問だったところを4回に増やし、空港は以前は週に2回だったところを4回に増やしました。
このことで売り上げアップに成功をしたのですが、時間的に非常に無理がありました。
分かりやすいスケジュールでは、早朝から温泉街に営業をして回り、夕方4時くらいから空港に駆け付けることが多く、当然ながら帰社する時間は夜の8時くらいになります。
・とにかく長過ぎる残業時間と時代的背景
残業時間は月に160時間が続いており、当時は現在のように終業時間や残業時間について問題視されることが無かったことは運が悪かったと今でも感じています。
一応会社側では土曜日と日曜日だけを休日にしていますが、実際には土日も勤務をしておりフルタイムでは無いものの顧客先が多いことで営業ノルマを達成するには必要不可欠でした。
実際に今日は休めると思っていた日曜日のこと、本社とは異なる流通部門から電話が掛かってきて、担当先の小売店に納品に行くように強制されることも多々ありました。
・過酷ではあるものの得ることができたスキルと嬉しい出来事
1年間を通して、正月以外はほぼ休みが取れず、160時間の残業は一向に解消することはできませんした。
ところが、営業社員として数多くのバイヤーさんや経営者の方々と会話をすることが多かったので、営業スキルだけではなく高いレベルでのコミュニケーション能力、お客様が求めていることや、少しの表情で察知できることなどを身に付けることができました。
多くの顧客先で私の仕事内容が大変過ぎるという事実を理解していただいていたので、競合他社よりも店頭にならべる商品数を増やしてもらえたり、何があってもスピード対応を行ってきたことで感謝されることも増えていました。
実際に感謝のお手紙やプレゼントをしてくれる顧客先もあり、今でも良い思い出になっています。
・謎のタイムカードと退職をしたきっかけ
大きな企業だったことでタイムカードの数もかなりありましたが、入社当初から別に区分けされた謎のタイムカードがあることを疑問に感じていました。
勤務から2年が過ぎようとしていた時に、先輩社員にこのタイムカードの件を聞いたところ、実は過労死でお亡くなりになった社員の配偶者のタイムカードでした。
かなりの恐怖を感じると共に、他の営業社員も私同様に160時間の残業を強いられているのに、不満を言う社員がゼロだったことにも驚きました。
私が退職を決めたきっかけは、うつ病と睡眠障害です。
4年目に入ると23時過ぎに自宅に帰って食事や風呂を済ませて寝ようとしても、朝まで一睡もできない状態が続き、実質上1週間の睡眠時間は4時間程度でした。
同時に食欲が無くなり体重が10キロ落ちた時点で精神病院に行った背景があります。
最初は睡眠障害が問題だと思ってましたが、診断の結果、うつ病と判断され限界に達したことが退職の理由です。
尚、年月が経過している現在でもうつ病と睡眠障害は完治しておらず、通院を余儀なくされています。