営業の体験談

【ブラックの定番】車での営業職として働いた体験談

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私は昔、大学を卒業し最初についた仕事がとあるディーラーの営業マンでした。

特に車関連の仕事に就きたかったわけではなく、ただその時代がリーマンショックの煽りを受けた就職氷河期だったため、もうどこでもいいからとにかく内定を取らねばと焦って決めた就職先でした。

そんな慌てて決めた就職先だったため勤続年数も結局1年程度と短いものですぐ退職していました。

退職理由は精神的体調不良、いわゆる適応障害でした。

まずは私の仕事内容などを紹介したいと思います。

車の営業マンですのでまずは新車・中古車の販売が第一の仕事です。

次に車検や点検などのサービス入庫の獲得も行わなければなりません。

そして車に関連するもの、タイヤや保険などの販売や契約も行います。

意外なところとしてはスマホの契約や農機具などの販売、生命保険など車とは関係のないものまで販売しなければならないのです。

これはかなり大変でした。

就業時間としては朝10時始業で夕方17時30分終業でしたが、一度も就業時間通りになったことはありませんでした大体朝8時過ぎに出社し夜9時くらいまでは会社にいます。

早出代や残業代などはほぼ付きません。

基本サービスです。

新人は朝8時過ぎには出社し全員のデスクの水拭き、展示車のホコリ取り、試乗車の洗車など数多くの仕事が待っています。

これには先程も述べたように賃金は発生しませんでした。

そして朝礼が行われたあと月初であれば各部署のミーティングが行われ、各自の営業ノルマを決定していきます。

ノルマを自己申告していくのですが上司から低すぎると必ず指摘されるため結局は到達が難しいノルマを与えられます。

私は一度もノルマを達成したことがありませんでした。

朝礼後のミーティングが終わり次第営業回りに出発していきます。

もちろん車であちこち回るわけですが、その車は社用車ではなく自分の自家用車で回ります。

会社が買い上げたりなどはしません。

そしてガソリン代も一部は会社支給になるのですが全く足りず、大半は自腹を切る形になってしまいます。

真面目に回れば回るほど給料が安くなるということになります。

また各自に営業を行う担当エリアいわゆるテリトリーが与えられるのですが新人はそう多くのテリトリーをもらえるわけはなく、また与えられたテリトリーのお客様もすでに別のベテラン営業マンの担当お客様でわざわざ新人の自分に担当を変えてくれるお客様などおりませんでした。

真面目に営業回りをすればものの1ヶ月から2ヶ月程度で回り終わってしまう程度のテリトリーで何回も同じお客様の家に短いスパンで行けるはずもなく、段々とできることは無くなっていきます。

そして月末がどんどん近づいてきますが、ノルマは未達成のまま時間だけが過ぎてしまう日々でした。

一度だけ冬タイヤのセールスで何としてでも売らなければならない時にたまたまお客様の家に上がることができ、話をしていく中で最後には泣きながら土下座までしてどうにかお買い上げいただいたこともありました。

あの時は泣くことも土下座をすることも売れるなら安いものだとしか思ってなかった、いや、そう思わされていたのかもしれません。

そうこうしながら冬タイヤの販売ノルマをクリアしそうになった時に上司から、そんなに売れるならノルマ追加でもっと売ってこい、とさらに負担が大きくなってしまいました。

これにはかなりショックというか身体的にも精神的にも辛かったです。

車の販売でもなんとかお客様と商談を進めていった結果お買い上げいただいたのですが上司に販売できたことを報告すると、車だけ売ってもしょうもない、アレはつけたのか、なぜこのサービスには加入してもらえてないのか、保険はなぜウチのものではないのか、などと売っても結局は必ず叱責されてしまいます。

売り上げを上げねばならないので言われるのは仕方ないとは思いますが、これらの体験から新人の自分にはこの仕事のやり甲斐が全く見出すことができませんでした。

そんな辛い時に一度体調不良で有給を使用したことがあったのですが次の日に上司に呼ばれ、新人が有給は使ってはいけない、非常識だ、使うなら事前に上司と相談し営業成績を上げてからにしろ、といったことを言われました。

さすがにこれにはビックリしました。

給料も新人ということもあり、基本的には総支給20万円くらいから引かれていき額面上は18万円程度の収入となっているのですが、先程述べたようにガソリン代など手出ししているものが毎月3万円から5万円程あるので高校新卒社会人より低いのでは?と思うほどの給料しかもらえていませんでした。

もちろん車の販売や入庫などで手当ては付くのですが微々たるもので、1台販売して1,000円、車検入庫で400円などでガソリン代すら賄えるものではなかったです。

このような色々な体験から退職を考えたのですが、やはり勤続年数が短く次の就職活動に不利になってしまうのではないか、なら石の上にも三年というように最低3年は我慢しなければならないのか、とも考えましたが今になって思うのは、勤続年数が短いことは全く不利にはならないという訳ではないが、だからといって転職ができなくなるなんて事は絶対にないということです。

むしろやりたくもなく辛いことをして若さや時間を失っていくくらいなら早めに見切りをつけて次に向けた行動を起こすべきだと思いました。

転職にも辛いことはいっぱいあるとは思いますが、もし日々が辛くて生きることも止めてしまいたくなるようなら私は日々の頑張りを本当の自分の居場所探しに当てて欲しいと強く思います。

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