学校・保育・教育の体験談

非常勤で悩んだ教員生活。ーしわ寄せがくる非正規の苦労ー

投稿日:2021年9月11日 更新日:

私立高校4校で計10年間勤務していました。

そのときの体験談です。

 

~1人だけ大変な思いをした1年間~

最初の私立高校は2年間勤めました。

非常勤講師という肩書でほぼ正社員と同じ業務内容でした。

大学を卒業してからすぐだったのでまだまだ未熟でよく指摘を受けたことを覚えています。

この学校で勤めていて一番辛かったのは最後の2年目でした。

一番学力が低いコースだけを担当したのです。

私立高校においては進学実績を上げるために学力別にコースを設定することが多いです(特別進学コースと言うのは良く知られています)。

この学校でも4つのコースに分けられていました。

上位コースは2~3クラスが一般的で下に行くほど生徒数は多くなる傾向があります。

しかしこの学校では一番下のコースは1~2クラスだけの設定となっていました。

つまり学校でも頭の悪い生徒が集まったコースと言う図式となっていました。

 

学力が低いコースの担当をすること自体は何も問題はありません。

教えたことをすぐわかるというわけではないので工夫をする余地が生まれ、それが教務力向上につながるからです。

ただこの時は3学年すべてを自分一人だけが担当することになりました。

つまり「我々は持ちたくないから1人で持ってね」と押し付けられたということですね。

 

このことで大変だったのは定期テストの作成です。

定期テストは学校によっても違いますが同じ学年で担当している教師から分担して作ることが多いです。

例えば担当が3人いて、テストの回数が5回なら3人で2回・2回・1回作るということになります。

ですが、そのコースの担当は自分一人だけなのですべて1人で作ります。

しかも3学年なので手間も3倍です。

この年は19回テストを作りました。

ちなみに2番目に多かった人は9回なので圧倒的に違います。

 

そして授業も大変でした。

学力が低いコースなので圧倒的にほかのコースよりも授業を真面目に聞かない生徒が多いのです。

授業中に何度怒ったのかはもう覚えてないくらいです。

少なくとも前の年よりも圧倒的に多かったのだけは覚えています。

もしも来年も1人だけこのような状況になったらどうしようかと恐怖心を覚えてこの年で辞める決心をしました。

最後の出社日がこの学校に来て一番うれしかったことを覚えています。

~正規になりたくて苦悩した日々~

次は同じ県の別の私立高校で非常勤講師として働きました。

非常勤講師では生活できないのでは?という声も聞いたことはありましたが、自分のケースでは給料はたくさんもらえたので全くそのような心配とは無縁でした。

まだ教師生活も短かったので1,2年は非常勤でゆったりやろうと思い3年目から動こうと思いました。

この学校には非常勤から常勤にステップアップするシステムがあり、試験を受ける必要がありました。

けれども着任2年目、3年目、4年目と不合格となり後に入ってきた先生たちに抜かされてしまっていました。

このままでは精神的に持たないと思って退職を決意。

実家に行くことにして地元の私立高校に非常勤講師として着任しました。

けれどもこちらでも常勤になれずに契約満了となってしまいます。

3校目の私立高校は偏差値はあまり高くなく、ただ最初の学校に比べるとまともだったとはいえ授業を受ける態度も良くない生徒もいました。

 

こちらで一番辛かったのは「習熟度別授業」でした。

簡単に言うと成績でクラス分けをしてその人に会った指導をするというものです。

言葉にすると聞こえはいいのですが、実際は上下2分割をしてクラスを組み直すというものです。

しかもテストは全く同じ問題を受けるので同じように教えなくてはならず習熟度別の意味はありませんでした。

むしろますます成績の格差が開いたと思いました。

今でも習熟度別授業は学力を下げる最高の授業法だと思っています。

 

~大切なのは生徒に見合った適切な内容~

4校目も私立高校でここでは派遣として働きました。

ここでも1校目の学校と同じで4つのコースに分かれていましたが、ここちらでは上位層のコースも担当をしました。

そうすると授業内容も全く違うものになっていることを肌で感じることができました。

最下位のコースは1.2年は高校数学ですが3年になると算数の内容も取り扱ったことを覚えています(就職をする生徒も多かったので就職試験に対応したものが多く、決してレベルが低いわけではないです)。

とはいえ「算数」を教えた3年生はとてもいい生徒が多く楽しくできたと思っています。

むしろレベルを高くせずにその生徒たちの実情をしっかり把握して適切な教材を出すことが大切だと感じました。

変に難しい問題をやらせると余計に頭が悪くなる、それが教員生活で得た一番大きい真理です。

しかしこの学校では1年で派遣切りにあってしまいました。

 

~教員を辞めてから現在まで~

今は学習塾で働いています。

派遣会社の人が人手不足と言うことで学習塾を紹介してくれました。

そちらで数年働いて今年の4月から別の学習塾でほぼ正社員(1年目は契約社員だが待遇はほとんど同じ)として働くことができるようになりました。

10年の高校教員の生活は決して楽なものではありませんでしたが、何とか生活ができていたことだけは良かったと思ています。

そしてあまり教員にはなるもんじゃないというのも自身の経験から言っておきたいと思います。

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