営業の体験談

関西風俗情報誌。営業社員として働いた体験談

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始めまして、私が25歳の時に1年だけ働いた大阪のブラック企業についてです。

その会社は倒産して現在はありません。

風俗店・夜のお店の広告営業・製作を行う出版社でした。

歌舞伎町に本社があり、広告出版社としては大きかったので

会社は勝手に「夜の電〇」と名乗っていました(笑)。

当時僕は大学を卒業し、やりたい事も見つからないままフリーターを続けていましたが、彼女もおりますし、正社員での仕事を探したくなり大学で広告デザインを専攻していたことから、広告会社の編集部員で募集を探しておりました。

大阪日本橋電気街の近くの雑居ビルにその会社ありました。

面接のアポを取り、その会社のあるフロアでエレベーターのドアが開いた瞬間、、「いらっしゃいませーーーーー!!!」 男たちの大きな声で迎えられました(笑)、

スーツをきた20~30前くらいのやんちゃそうな男たちが並んでこっちを向いていました。

少し固まってしまったのですが、「あの…面接で参りました○○です・・・。」と伝えると、個室に通されました。

ドキドキしながら待っていると、川平慈英をムキムキにして一回りガタイ良くした男が入室してきました。

「○○~~!!」初対面なのに、再会したかのように名前を呼ばれ、なおかつ乳首をグリグリされました、何故(笑)?

「あの、編集部員希望で・・・。」

「いやーイケメンだね、武士みたいな顔してるよね、とりあえず営業だね!」という事で面接は一瞬で終了。

「あっちに君と同じ入社希望のコが来てるから!」、といわれ別室に行くと僕と同年代くらいの狼狽を隠せない男が2人、多分気持ちはみんな同じ(笑)。

再度、川平慈英が「とりあえず入社するかどうか彼女に相談してきちゃいなよ、基本給は3か月間は23万、あとは歩合で取った広告の一割ダイレクトに給料になるから。」と言われました。(5万の広告取ったら5千がインセンティブて事ですね。)

彼女に相談すると「絶対にやめとき。」・・・そうやんな。

ただ、若いうちにキツイ会社とか興味のある仕事は出来るだけしておきたい気持ちもあり、働くとこに決めました。

川平に電話し、

「あの、是非お世話になりたいと思いまして・・・。」

「お~○○!!待ってたよ~、いいねいいね、一緒に頑張ろう!」

「はい、宜しくお願い致します。」

「OK!じゃあ明日から東京ね!」

「・・・え?」

「今から事務所来れる?」

今思えば相当おかしい流れなのですが、言われるがまま会社に赴き、エレベーター下りたら

「いらっしゃいませーーーーー!!!」うるさい、これ忘れてた。

そしてまた個室に通されると、前回いた2人も一緒でした。

「あ、君らも呼ばれたん?」

「おん、何か明日から東京言われてんけど。」

「やんな、マジなんかな?」

すると、川平が

「じゃあ今から給料の口座作ってきてくれる?帰ってきたら研修の説明するから。」

あ、研修で東京かー、少し安堵し口座を作り戻ってくると、明日から東京の歌舞伎町本社に3週間研修との事、近くに宿舎がありそこに泊まる事、朝500円、昼500円、夜1000円の食費が出る事、新幹線の切符を渡され明日の9時の朝礼までに東京本社に行く事を伝えられ訳も分からぬまま同期3人で東京に向かいました。

とりあえず腹から声を出して挨拶する事、それだけ徹底されました。

東京本社の新人研修室という所に通されると、その中には大阪から来た男たちが15人程ひしめき合っていました(笑)

研修なんて名ばかりで、その部屋の中で会社媒体の雑誌を眺めたり談笑したり、たまに講義があるくらいで日々楽しくて仕方ありませんでした。

新人もみんなも良いやつばかりで、今思えば楽しいのはその研修だけなんですけど・・・。

3週間後大阪に帰り、初めて本社の朝礼に参加しました。

代表も課長も課長連中もみんな一列に並び、

司会が「朝礼始めます、オザス!!!!!」「オザース!!!」

「番号! 1・2・3・4・5・6・・・」 これを間違えたり止めたりすると制裁される。

ちなみにこの朝礼が朝の10時半。

この朝礼が終わると、みんなで弁当を食べて休憩。

その後、街に出て他社の風俗情報誌を買い集め電話し、ウチでも広告出しませんか?とアポ取り活動がはじまる。

ちなみに先輩がすでに持ってる客に電話すると、「もうお宅で出してるで。」となり先輩にキレられる。

アポが取れると、お店まで出向き広告料金や雑誌内容の説明をする、今のようにスマホも無くNETがそこまで普及してないので紙媒体がまだ重要でした。

ちなみに新人は新規広告1件取ると、朝礼で発表され正社員になり、名刺とバッジがもらえる。

それを目指してとりあえずは頑張るのだが、そもそもアポが取れず心が折れて辞めるパターンが1つ。

その会社は班分けがあり、A班、B班、C班、D班、E班、新人班となっており、正社員になるとA~E班のどこかに配属される。

それぞれの班には個性豊かな課長がおり、激こわな課長や、静かな課長、色々でその配属先によってノルマの詰めがきつくて辞めるパターンが1つ。

ノルマ未達だと、班での連帯責任となり班でフォローしあうのですが、それでも厳しいときは緊急ミーティング、代表を交えて夜中じゅうお店に土下座して広告を取りに行ったりお願いに行ったり・・・。

上司が怖いので、怪しいお店の怪しい店長なんかとも普通に話せるようになります。

アポ取りで「忙しいのに電話してくんな!!」とキレられても平気になりました。

だんだんと広告も思うように取れなくなり、歩合が無いと給料が雀のナミダなので、きつくなり辞めました。

新人同士は妙な絆が出来て仲がいいし今でも会ってます。

会社は半分ヤ〇ザとも繋がっており、まともな会社では無かったです。

電話も「もしもし。」など言いません。

いきなり「あのさー。」「誰々いる?」

社会人として成立していません(笑)

色々問題があり倒産しました。

思い出したら楽しかったのですが、当時はなんでこんなに悩んでたのかくらい毎日地獄でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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