【憧れだった旅行会社への就職】
私は子供のころからずっと旅行会社で働くことを夢見ていました。
中学生の時にたまたま本で見たドイツのハイデルベルク城に魅了され、そこから海外への興味を持ったのでした。
色々調べているうちにいつしか「世界中にはまだまだ知られていない素晴らしい場所が沢山ある。将来は沢山の人に旅先を紹介する仕事がしたい」と考えるようになりました。
それから私は英語に強い高校に進学し、夏休みを利用してカナダへホームステイに行くなど着実に夢に向かって進み始めたのでした。
大学は外語系大学へ進学し、1年間の語学留学を経験。
これも全て旅行会社に就職するために有利になるだろうとの考えからでした。
プライベートでも色々な場所へ旅行に行き、大学を卒業するころには20カ国以上を訪れていました。
こうして夢実現のために努力をした結果、見事私は海外旅行専門の旅行会社に就職することができたのでした。
【派手な職場の現実】
旅行会社に勤務しているというと日々色々な場所を訪れたり旅行三昧という派手なイメージを持たれました。
しかし実際はそんなことはなく、ただただ地味で辛い日々でした。
私が就職したのはベンチャー企業だったこともありますが、その会社のやり方が独特でした。
社員一人一人がひとつの国を担当し、その国に関してはホームページ作成や問い合わせ、申込みなどの初期対応から航空券やホテル、オプショナルツアーの予約や旅程表の作成、書類の発送などあらゆることを最初から最後まで責任を持って行うことになっていました。
大学生の時に会者説明会でこの話を聞いたときには、それがとても魅力的に聞こえました。
大手旅行会社では受付窓口担当、電話対応、企画、予約業務と細かく分かれていることが普通で、色んな業務を経験したかった私にとって、担当した国のお客様を最初から最後までケアできるということがまさに求めていた業務形態だったのです。
第一志望で入社を果たしたこのベンチャー企業でしたが、実際働いてみると最初から最後まで担当するということがいかに大変か思い知らされました。
私は入社早々ハワイ担当になりました。
ハワイと言えばご存知の通り多くの日本人が訪れる大人気観光地です。
そのため問い合わせ件数も他の国と比べて非常に多く、ハワイ担当の先輩社員はいたのですが電話や来店の最初の対応は新入社員が行う決まりとなっていたため、常に受話器を持っている状態でした。
切っても切ってもかかってくるハワイに関する予約の電話、ハネムーンのお客様。
朝9時から17時までの就業時間はほぼ全て初期対応で終わっていました。
店が閉店した17時過ぎからようやく旅程表の作成やホームページ作成、書類の発送にとりかかることができたのですが、なにせ数が半端ではないためやってもやっても終わらず、入社半年後には毎日終電で帰っていました。
それでも終わらない時には朝7時に出社したり休日出勤もしました。
また、新入社員は8時から毎日店内掃除をしなければならなかったり、週に1度各国大使館へビザが必要なお客様のパスポートを届けなければならず、そんな日は日中3時間程外出することになりました。
帰社するとデスクの上には山積みになった問い合わせ電話のリコール依頼。
昼食を食べることもお手洗いに行く時間すら取れない状況でした。
これだけ働いても残業手当はゼロで、あくまで私の仕事が遅いため終わらないだけだとされておりサービス残業扱いでした。
しかし他の社員も似たような状況で23時頃までほぼ全ての社員が仕事をしていました。
【夢の終わり】
こんな辛い状況が続いたある日、終電に飛び乗った私は気がつくと泣いていました。
悲しい訳でもないのに涙が止まりませんでした。
その時に自分の限界が来ていることに気がついたのです。
しかしずっと夢見てきた旅行会社。
まだ入社1年未満だった私はこんなところで折れてしまう訳にはいかないとなんとかしがみついている状態でした。
そんなある日の朝。
出社するために起きた私は後頭部に違和感を覚えました。
触ってみると昨日まではなかった大き目のしこりがありました。
私は青ざめ、癌などの腫瘍なのではないかと不安になりました。
それを同居していた両親に話すと、すぐに病院へ行くよう説得されました。
初めはそれでも休めないからと出社しようとしていましたが、両親の必死の説得により急遽休みをもらって病院へ行くことにしたのです。
診断結果は「うつ病」でした。
しこりは血流が悪くなった結果、後頭部に血が溜まっていたのでした。
腫瘍ではなかったことに安堵しましたが、医師からは「血流をよくするために1時間に10分程度の休憩をとるように」と指示されました。
もちろん激務の会社でそんな暇は取れません。
それを話すと医師は「今の働き方を続けていたらいずれ躁うつ病になる。自殺してもおかしくない精神状態」とはっきり言われました。
それを聞いた両親はすぐに仕事を辞めるように私を強く説得し、私も何だかもうどうでもよくなってしまい、その日のうちに医師から告げられた内容を上司に連絡するとともに退職の意向を伝えました。
上司も医師が言う働き方ができないことはわかっていたため、その電話で私は退職することが決まりました。
1ヶ月後、私は荷物を取りに久しぶりに会社へ行き、挨拶をして正式に退職しました。
相変わらず激務をこなす元同僚達を見て、私はすがすがしい気持ちでした。
もうここに来なくていいと思うと世界が明るく見えたのでした。