学校・保育・教育の体験談

大阪の大手塾はサビ残当たり前の超絶ブラックだった!!

投稿日:2024年9月26日 更新日:

プロフィール

職業名 塾講師

雇用形態 正社員

勤続年数2年

入社時の年収(ボーナス、インセンティブ含む) 320万円程度

退職前の年収(ボーナス、インセンティブ含む) 340万円程度

性別 男

 

・大手学習塾での勤務は超ブラック

私が就職したのは、大阪にあるそれなりに名の知れた学習塾でした。

大阪に住んでいる人であれば、名前を聞けばすぐにピンとくるようなところ。

自社ビルも持っていて大手ですし、面接の感じも良かったですし、最初は「ああ、良いところに就職出来て良かったな」という気持ちでした。

ところが、実際に入ってみると、そこは外から見ている分では想像も出来ないぐらい真っ黒でした。

 

・拘束時間が異様に長い

なによりブラックぶりが顕著だったのが、その異様なまでの拘束時間の長さです。

塾なので、学校帰りの生徒の都合に合わせて、勤務が夜遅くになるのはある程度仕方ありません。

ですが、連日のように本社会議(高齢の社長が好き放題しゃべるだけ)があるため、朝8時台から出勤する必要があり、終業後も「サロン」と称した謎の勉強会が開催されるため、深夜の2時頃まで家に帰れないようなこともままありました。

毎日毎日そんな状態が続き、しかも土日は模試やテスト対策などのイベントが常にあり、月の中にほとんど休みがないような状態が長く続いていました。

また、そういった日にどうしても休みたい場合には、代わりに出勤してくれる社員を自分で探し、代打を頼み込む必要がありました。

裏を返せば、それは自分が休めるはずの日にも、他の社員から代打を依頼される可能性があるということでもあり、やっと休めた1日の休日であるにも関わらず、朝起きた瞬間から、メールを着信するたびにビクビクしながら過ごす羽目になりました。

 

・会社は居場所だという社風

その会社は、「社員にとって会社は生きる場なのだから、無償で尽くしてアタリマエである」という考えが横行していました。

それゆえ、当然のように残業代の支給などは一切ありませんでした。

深夜まで残ろうが、休日を返上しようが、完全なボランティアです。

社員は全員、入社から半年で取締役に就任するという謎のルールがあったので、それで残業代や退職金を支払わなくても良いという理屈のようでした。

また、社内にはネット掲示板があり、少しでも会社に異を唱えるような者があれば、徹底的に糾弾されて降格させられたり、場合によってはクビになることすらありました。

 

・社長の思想が強すぎた

その会社の社長は、まるで思想家のように極端な考えの持ち主だったのですが、それを毎週の会議で延々とまくしたてるなど、とにかく思想が強い人でした。

それを会社の中でやっている分ならまだしも、終いには社員だけでは飽き足らず、授業中に社長の論文を配って、生徒に暗唱させたり、考察させたりするような真似まで始めました。

勉強をするために塾に来ている生徒からは、もちろんのこと猛反発でした。

保護者のなかにもクレームを訴えて、塾を辞めさせる人もいました。

そんなことで、私たち現場の講師は常に白い目で見られ、やりがいを感じるどころか、常に罪悪感にさいなまれながら授業をしていました。

ですが、反発することは出来ませんでした。

なぜなら、各教室には監視カメラがあって、本部が常にそれを監視していたからです。

 

・その会社は今

当然と言えば当然ですが、その会社はかつての栄華が噓であったかのように凋落し、今や見る影もないような状態になっています。

もともと、塾以外にも様々な部門がある会社なので、倒産こそしていませんが、塾部門はほぼ終わったと見て良いような状態です。

やはり、あまりにもワンマンで柔軟になれなかった社長と、そのイエスマンとなって異を唱えることが出来なかった幹部たちが、あの会社を腐らせてしまったと思います。

見るからに会社が間違った方向に進んでいるとき、権力者が誤った方針を打ち出したとき、下につく者全員が風見鶏のようにそれに付き従ってしまう会社は、ブラックになるより他ないのだろうなと勉強になりました。

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